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この世からきれいに消えたい。-その2-

2004/10/14 (木)  カテゴリー/Books

今日は文庫本「この世からきれいに消えたい。」の第2弾です。



パート2では本の中から引用して、それに対するコメントをすることで紹介したいと思います。


どこに行けば有意味な人生で、どこに行ったら無意味ということは絶対にありえない。

無意味というなら、どこに行ったって無意味。

自己実現はありえないと言えば、どこに行ったってありえない。

しかし、どこに行ったって自分流に生きることはできる。




これは宮台氏の教え子であった女の人が自殺に至った経緯を語ったさいに出ていた言葉です。

彼女は「国Ⅰ」の公務員試験に受かった段階で自殺してしまったそうです。

彼女はずっと(例えば)大蔵官僚になることに意味があるのか悩んでいました。

それは宮台氏が講義の中で「所属による承認は無意味」や

「役割に権威を認めてもらっても、その人本人であることに関係がない」と

言ったことをとても気にしていたからです。

この作品は自分の中でまだ消化しきれていない部分が多々あるんですが、

そんな中これは読んですぐに納得できました。

地位や所属によってその人の外観を決定されるけどその人自身、

例えば性格や考え方は理解されないし、変わることはないということですね。



人類は長らく、「意味」(物語)ではなく、「強度」(体感)を生きてきました。

古い社会には例が着なくお祭があるのも、そのことに関係します。


(中略)

未来につながる「意味」を求めて生きるようになったのは、つい最近のことなのです。



このことについて具体的な例がいくつか挙げられています。

料理がおいしいのは意味があるからではない。

レシピ(うんちく)に意味があるからこのラーメンはおいしい、というのは可笑しい。

踊って気持ちがいいのも、意味とは関係なく意味を求めだすとたちまち面白くなくなる。

なぜ、近代・現代は意味を求める社会になってしまったのか。

それは社会が人々に「意味」を与え、追求させることで、

社会が必要とするものを作り出させてきたからです。

勤勉であることには意味がある、成功することにも意味がある、

国や会社のために生活することには意味がある、といった具合です。



宮台氏はこう述べています。

昔は、「意味を求めて得られない」人が追い詰められ、

今は「強度を求めて得られない」人が追い詰められている。


「いい学校・いい会社・いい人生」

これはエリート官僚の価値観を指しているように思えました。



意味を求めない生き方。

それが正しいかどうかは置いておいてそれなりに自分は出来てきたと思います。

と、いうよりも意味を求めて行動することがめんどくさかっただけですが・・・。



僕は「しょせん」派と「あえて」派と呼んでいます。

「しょせん、意味ないだろう」という立場か、

「意味はないけど、あえてやってるんだよ」という立場か、です。


(中略)

「しょせん」はネガティブ、「あえて」はポジティブです。



個人的に「あえて」という表現もポジティブというイメージをそこまで感じなかったのですが、

前向きな姿勢を感じ取れる単語だなと思いました。

不可能な目的でも「あえて」目指すことで、頑張ることが出来る。

そんな生き方を否定する人もいるかもしれませんが、何でもかんでも結果や意味を求めるよりも

回り道をしながら、いろんな経験をする(努力したり、協力して頑張ったり)のがいいと思います。



やっぱうまいことまとまらない&まだまだ書き足りないのでパート3まで続かせます落ち込み
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